安積高等学校105期同期会ホームページ
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寄稿
酒井安功先生から、同期会当日のお祝いのメッセージでも触れていた『朝河貫一』 について105期の同期会会報作成にあたってご寄稿いただきました。紙面の都合 上、会報には掲載できませんでしたので、ここに掲載させていただきます。

安積高等学校第105期担任 酒井安功

朝河貫一は明治6年12月20日、旧二本松藩士・正澄とその妻ウタとの間に未熟で虚弱な赤ん坊として この世に生をうけます。
 それより溯ること5年前、慶応四年二本松城は新政府軍によって落城しています。
貫一が生まれた翌年に教員資格を得た父・正澄は伊達郡の立子山(現在の福島市立子山)の小学校長として 迎えられ、一家は立子山に移り住むことになります。当時の小学校は天正寺の境内にあり、朝河一家は寺 の一室に生活することになります。教室も当時まま寺子屋として現存しています。
 しかし貫一は発育の方は遅れ、誕生日が過ぎても歩けないどころか片言も発することが出来ないでいる内 に母ウタは後顧に憂いを残しこの世を去ります。
 その後父・正澄は後妻を迎えます。
その新しい母となったエヒは良妻賢母で貫一の言語機能の発音が遅れていることを心配し夫と共に力を合 わせ単語や連語表をつくって教え、4才頃には普通の子供と同じくらいに成長します。5才になると父・ 正澄は貫一に近古史談・日本外史・史書五経などを教え始めたと言われています。家庭では母・エヒと共 に国語・歴史・儒教の家庭教師であり、すぐ隣の学校では校長であり教師であれば貫一の才気が芽生えた のもこの頃であろうと想像されます。
 小学校に入れてからは、伊達郡内の各小学校代表の学力比較試験では立子山小学校を代表して出席し、常 に最優秀であったと言われています。
貫一が立子山小学校の最終学年の時、郡内の最も優秀な学校に進みたいという貫一の希望で、川俣高等小 学校に転校することになります。転校を希望した理由の一つは川俣小学校には蒲生義一という東京から来 た英語の教師がいたからです。
 貫一は川俣小学校で蒲生先生から基礎的な英語教育を受け、この時から語学にたいする興味が芽生えたと 思われます。
 何故、川俣小学校に英語の教師が招聘されたか、川俣は当時、日本有数の絹織物工業が盛んなところで、 製品を福島まで馬車で運び鉄道で横浜まで運び横浜港から海外に輸出していたので、各問屋は英語を話す 必要に迫られその弟子に小学校から英語を教える必要に迫られていたのです。 川俣小学校へは冬期間は友達3人と町内に寄宿し自炊生活をし、夏場は立子山から川俣まで道程にして十 数キロを通ったと言われています。
 川俣小学校時代に中学校への進学を希望する旨を強く訴えています。父・正澄の月給は拾円の薄給であっ たが当時現在の県庁近くにあった福島尋常中学校に貫一を入学させます。立子山から十キロ余りの道程な ので通えるという理由で入学させたと思われます。
 立子山から川俣まで十数キロと云い、福島までの十キロ余りの道のりは馬車と荷車くらいしか往来のない 交通事情から推測するに英語の単語を憶えるには【もってこい】時間あったと思われます。 開校して間もない福島尋常中学校は校舎が火災にあい、明治22年、貫一が2年生の時安積郡桑野村 (現在の安積高校所在地)に移転します。
 福島尋常中学校では貫一は英語の辞書を毎日二頁ずつ暗記し食って、残った表紙は桜の木の下に埋めたと 言われています。それは今でも伝説として残っている朝河桜です。
 彼は後にアメリカのダートマス大学に留学中に友人に『自分は辞書を中学校時代に憶えてしまったので 【ディクショナリ・イーター】』と呼ばれていたと話しています。
 明治23年4月、安積中学は英国人英語教師、トーマス・エドワード・ハリファックスを迎え入れます。
 貫一は幸運にも3年間こおの外国人教師に習うことになります。当時英語の時間は週7時間あり、貫一の 学年は31人で一クラスしかなかったので、外国人教師に接する時間が多くあったのも幸運だったと思 われます。
 貫一は会津に遠足に行った折、会津中学(現会津高校)で英語でスピーチをして会津中学の生徒の度肝を抜 かれたと言われています。
 また、卒業式には総代として答辞を全部英語で述べ、来賓や出席していた保護者の誰もがあっけにとられ たと言われています。また同席していたハリファックスは『やがて世界はこの人を知るだろう』と言った そうです。
 貫一は安積中を卒業すると市立の金透小学校で代用教員のアルバイトを数ヶ月やった後、アメリカ留学を 志し、東京専門学校(後の早稲田大学)に進むことになります。
 また貫一は安積中学在学中(3年生・16才)校友会誌《花の栞》(八〜九号掲載)「記憶論」の翻訳や安積 中学英国人教師留任嘆願書を福島県議会宛に出していますが聞き入れられなかったのです。
 その後、時は流れ平成3年(1992年)にニュージーランド人英語教師ジョン・マック・フェードリッチ が着任するまで丁度100年間、安積中学・安積高校には外国人英語教師は着任していませんでした。

参考文献
『今に生きる 朝河貫一〜その生涯と栄跡』
『K.ASAKAWA'S POCKET DICTIONARY』(朝河貫一博士顕彰会)
 家族で訪ねるプロムナード 朝河の道


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